2009年4月30日木曜日

親友

一時期すごく仲がよかったのに、進学や引越しなどで生活環境が離れてしまったのがきっかけで疎遠になってしまった。
筆不精で面倒くさがりで、その上淡白な性質なせいか、僕にはそういう過去の存在になってしまった友人が結構多い。

僕の両親は一度離婚しかけたことがある。
母の浮気が原因らしかった。
母のパート先の同僚であるその相手は、背が高くてハンサムなスポーツマンだった。
気さくな性格で、僕のこともかわいがってくれた。
母と彼が実際にどの程度の仲になっていたのか、僕は知らない。
実際に浮気だったのかもしれない。
父が単に嫉妬深かっただけで、単なる友人だったのかもしれない。
とにかくそのことが原因で両親は不仲になり、僕と母は母方の祖母の家に一時身を寄せることになった。
僕が小学校に上がる直前のことだ。

祖母は当時、日野の公団に一人で暮らしていた。
僕は本来行くはずだった地元の小学校ではなく、日野の小学校に入学することになった。
このあたりは当時人口増加の真っ最中で、小学校も新しく綺麗だった。
担任は若い女性の優しい先生だった。
級友たちはみな「いい子」ばかりであり、喧嘩などは見たことがなかった。
彼らはよそ者である僕をすぐに受け入れて、仲良くしてくれた。

両親の話し合いの結果、僕と母は父の元へ戻ることになり、僕は一月足らずで地元の小学校へ転校することになった。
両親が離婚に至らなかったのはうれしかったが、せっかく仲がよくなった級友たちと離れるのは残念だった。
改めて入った地元の小学校は歴史がある学校で、校舎は古く汚かった。
担任は年配の女性で、怖い先生だった。
級友は該して幼稚で、粗野な生徒も多く、喧嘩も多かった。
初めは、居心地のよかった日野の小学校に比べてしっくりこなかった。
だが保育園時代の友人が多かったこともあり、そのうち僕もその中に自然と溶け込んでいった。
しかし、日野の小学校の方が僕がいるべき場所だったという思いは消えない。
あのとき両親が離婚して、日野の小学校に残っていたらどのような人生になったのだろうと、今でもたまに考えてしまう。

日野の小学校では、一人の少年と特に仲良くなった。
彼は同い年の他の友人と比べると、非常に大人びていた。
小さい頃から本の虫だったような僕ととても話が合い、それまでは一緒に虫取りしたりごっこ遊びするような友人しかいなかった僕にとって新鮮で刺激的な相手だった。
彼とは放課後毎日のように遊んだ。
当時の日野はまだ開発があまり進んでおらず、野山や河原に自然がたくさん残り、田畑も多く、遊ぶ場所には事欠かなかった。
地元の彼に案内してもらい、いろいろな場所で遊びながらいろいろな話をした。
彼の一家は古い公団住まいで、それほど裕福な家庭ではなかったのかもしれない。
しかし、訪ねた彼の家の中は清潔で整然と整えられており、彼を培った環境にふさわしいものであった。
当時の小学生の学習机は、キャラクターがあしらわれ、ライトや鉛筆削りなどの付属品がごてごてとついたものが主流であったが、彼の机は彼の兄のお下がりの古風な文机だった。
これがどことなく彼の性格を象徴しているようで、実に格好良かった。

別れが決まり、最後に遊んだとき、彼は少し遠くにある林の中の大きい水溜りのような沼に連れて行ってくれた。
秘密の場所だったのかもしれない。
そこにはこれまでに見たことがないほどの無数のおたまじゃくしがいた。
あの光景は今でも忘れられない。

彼とはそれ以来一度も会っていない。
手紙も一二度やり取りしただけだと思う。
祖母の家に遊びに行ったときにでも会う機会はいくらでも作れたはずだが、そうしなかった。
なにか照れがあったのかもしれない。

彼とはもう二度と会うことはないだろう。
彼とは、子供の頃のわずかなひと時をともに過ごしたというだけの関係に過ぎない。
しかし、彼は、あの時確かに僕のかけがえのない大切な「親友」であったのだ。

2009年4月29日水曜日

横浜

「近くて遠い街」
僕にとって横浜とは常にそういう存在だった。
ここでいう「横浜」とは、観光客や買い物客が集まる関内周辺のことである。

僕は生まれは東京、育ちは神奈川である。
生まれてすぐに川崎市多摩区に引っ越してそこで育った。
多摩区の中で2回ほど引っ越したが、すぐ近所だった。
2年前まで住んでいたマンションも多摩区の隣の麻生区で、しかもほとんど多摩区と麻生区の境界辺りだった。
どの家も最寄の路線は小田急線。
つまり僕はこれまでの人生の大部分の間、川崎市西部の小田急線沿線の住人であったのだ。

川崎市と横浜市は隣接している。
東京都と横浜市の間に川崎市が挟まっている感じだ。
僕が住んでいたのはつねに比較的東京寄りだったが、川崎市は南北に短いので、自転車でちょっと行けば横浜市に入れる。
しかし僕は「横浜」に数えるほどしか行ったことがないのだ。

隣の市なのになぜ行く機会がなかったのか?
僕が子供の頃住んでいた家の最寄り駅は向ヶ丘遊園だったが、登戸も近かった。
登戸から関内まで行くには、南武線で川崎まで行って京浜東北線に乗り換えるか、南武線で武蔵小杉まで行って東急東横線に乗り換えて横浜まで行き、横浜市営地下鉄に乗り換える必要があった。
どのルートで行っても一時間近く掛かった。
しかし、登戸から新宿まで小田急線で20分強で行くことができるのである。
渋谷までも下北沢で京王井の頭線に乗り換える必要があるが、同じくらいの時間しか掛からない。
つまり、横浜に遊びに行くよりも東京に遊びに行く方が速かったのだ。
(ついでに電車賃も安い!)

うちは川崎市のかなり西寄りで、関内は横浜市の東端である。
川崎市は東西には長い。
直線距離もある上に、上記のように経路は折れ曲がっている。
時間が掛かるはずだ。

そんなわけで、買い物に行ったり遊びに行ったりするのはもっぱら新宿や渋谷で、横浜に行くことはほとんどなかった。
ちなみに川崎市の中心部である川崎駅近辺は、今でこそ地下街のアゼリアなどができて綺麗に整備されているが、昔はやくざが多い吹き溜まりのような雰囲気だったので、遊びに行く先の選択肢にはならなかった。

横浜は遠い存在ではあったが、子供の頃親に連れられて何度か行った。
中華街や、海辺に古い洋風の建物が立ち並ぶその町並みには異国情緒が漂い、子供心にも東京の街とは一味違う趣を感じさせるものであった。
あるホテルのレストランでビーフシチューを食べた記憶がある。
どこの店かはもう忘れてしまったが、古風なインテリアは昭和初期や大正時代のロマンを感じさせるものであり、そこで食べるビーフシチューはなにか特別なもののような感じがした。

「近くて遠い街」であった「横浜」。
東京に引っ越してまた少し遠くなってしまったが、そのうちゆっくり散策したいものだ。

2009年4月28日火曜日

『古代ギリシャの音楽』 グレゴリオ・パニアグワ&アトリウム・ムジケー古楽合奏団



前5世紀~後4世紀辺りの古代ギリシアの音楽を、わずかに残された資料から復元したものである。
楽器も絵画などを元に復元したものだ。
楽譜は欠損だらけで、しかも正確な読み方はわからない。
したがって、想像の部分もかなりあるのだが、試みとして面白い。

かくして復元された古代ギリシアの音楽は、なんとも不思議な感じのものだ。
音数は少なく、メロディもあまり抑揚がなく単調。
リズムもあるんだかないんだかよくわからない。
ボーカルは朗読か、きわめて平坦な発声による歌。
なにより詩の内容を伝えることを目的としている感じ。
その内容は、喜劇や悲劇あるいは神への賛歌。
中近東っぽい感じがしたり、東南アジアっぽい感じがしたり、お経っぽい感じがしたり、日本の童謡みたいな感じがするときもある。
現代音楽っぽくもある。
つまり、なんだかよくわからない。
聴いているうちに結構面白くなってくるが、毎日聴きたくなるようなものではない。

しかし、このアルバムの魅力は、音楽的、学術的な部分だけにあるわけではない。
音がいいのだ。
オーディオ評論家の長岡鉄男氏も優秀録音盤として絶賛していた。
ちなみにアナログディスクの方が音が良いそうだ。
楽器の音、声、その他の物音が、すばらしくリアルに聴こえてくる。
エコーが豊かでとても美しく、それなのに元の音がボケていない。
他の普通の音楽のCDで聴くことができる音とは明らかに違う、不思議な感じだ。
できれば良質のオーディオで、ある程度大きい音で聴くことをお薦めする。

文章修行

このところ頑張ってブログの更新に励んでいるが、やはり書き続けていくと文章がスムーズに出るようになってくる。
まだハイハイからつかまり立ちに移行した程度のレベルだけど。

ブログを書く目的は以前とは変わった。
以前は、気の向くままに書いていた。
書くことで、自分の中の漠然とした考えが整理できればいいかなぐらいの気持ちだった。
あまり誰かに読ませようという気はなかった。
なんのことはない、文章の稚拙さ、内容の無さに対する言い訳としてそういう予防線を張っていただけの話だ。
ちんけなプライドが透けて見える。
今、昔のブログを読み返してみると、酔っ払ってノリノリで書いたものなど、結構面白い。
しかしながら、総じて楽屋落ち的で独りよがりなもので、人に読んでもらおう、理解してもらおう、面白がってもらおうという意思があまり感じられない。

今の目的は、文章を書く練習である。
文章を書くことで何がしかの収入を得られないかと考えている。
脱サラのための手段をいろいろ考えているが、今のところこれといったものは思いつかない。
とりあえず今の自分ができるものということで、文章を書くことに専念してみる。

文章といっても、雑誌やウェブに載せる雑文、エッセイ、小説、解説文、いろいろある。
なにを書きたいのか、なにが書けるのかは、まだ自分でもはっきりとしない。
ぼーっと考えているだけでは、いつまでたってもわからないだろう。
ひたすらいろいろ書いていくしかないのだ。
どの道にしても、一定水準以上の文章をある程度量産できることが必要だ。

ブログは一般的に日記のようなものだと思うが、今読んでる森村誠一の『作家とは何か-小説道場・総論』に小説作家志望者についての十ヶ条として、
第一条-覚書、記録以外の日記は書かない。書く場合は読まれることを意識して書く。
第二条-読まれることを意識して書く日記は、修飾(虚言)を施しやすい。虚実ないまぜての日記は本来の日記ではなくなるが、小説の原型となる。
とある。
これに刺激された。
人に読んでもらえるような文章を書けるようにここで練習していきたい。

特にテーマを限定せず、いろいろなことについて書いていきたい。
これまでのような個人的な体験や感想以外に、純粋な創作物も書く。
オーディオなどの話題にしても、読んで楽しく、かつ、役に立つようなものを心がけたい。
最近は書いていなかったが、CDや本のレビューもどんどん書いていきたい。
うちのCDや本の量を考えれば、当分ネタ切れする心配はない。
目標としては、通常の書き込み1つ、CDレビュー1つ、本のレビュー1つを毎日投稿するようにしたい。
今のところ、毎日1つ投稿するだけでもひいひい言っているような状況なので、すぐにできるとは思えないが。
まあ、あくまで目標ということで。

人に読んでもらえるような文章を書くといっても難しい。
この投稿にしても、他人が読んで何が面白いのか、と我ながら思ってしまう。
でも、文章を書いたりネタを考えたりするのは楽しくなってきた。
もちろん、仕事なんかしているよりもはるかに。

2009年4月27日月曜日

カルピス

妻がカルピスを買ってきた。
カルピスを飲むのは久しぶりだ。

子供の頃、家で飲む甘く冷たい飲み物といえば大抵カルピスだった。
親戚の家でも、友達の家でも、どこでもカルピス。
当時のカルピスの売り上げはかなりのものだったのではないだろうか。
当時の冷蔵庫は小さかったので、常備するのにスペースをとらない濃縮タイプのカルピスは重宝されたのだろう。
当時のコーラなどの炭酸飲料はビンに王冠の栓だったので、現在のペットボトルと違って開けるとすぐに飲まなければならなかったし。
また、乳酸菌飲料のカルピスは健康によさそうなイメージもあったのかもしれない。
当時は100%果汁のジュースなどはまだあまり見かけなかった。

類似品で森永コーラスというのがあった。
たまに親がカルピスではなくコーラスを買ってくると、ちょっと残念だった。
もちろんコーラスも美味しくてカルピスとほとんど変わらなかったのだが、わずかな風味の違いがなんか許せなかった。
どうも僕は嗜好品には多少保守的な傾向があるようで、あるものが気に入ると、その類似品では駄目なのだ。
同様に、朝食に食べていたシリアルはケロッグで決まりであり、シスコーンでは駄目だった。
もっともこれは、ケロッグのおまけのせいでもあるのだが。

フルーツカルピスというのもあった。
これは普通のカルピスとかなり違うものなので、却って大丈夫だった。
昔はオレンジとグレープしかなかったと思うが、最近ではピーチとかいろいろな種類があるようだ。
うちの親はフルーツカルピスはあまり買ってこなかった。
値段が高かったのだろうか。
僕が普通のカルピスの方がいいといったのかもしれない。
しかし、たまにお中元でいただくと新鮮な感じでうれしかった。

カルピスはやはり暑い盛りに飲むのが美味い。
メーカーも、やはり冬になると売り上げが減るのであろう、「冬はホットカルピス」といったCMを打っていたが、どうにも無理があったと思う。
やはりカルピスは夏の飲み物だ。
麦わら帽子や虫取り網がよく似合う。
遠足で水筒に入れくる奴もいたが、僕はあれも好きじゃなかった。
ぬるいカルピスなんて飲みたくない。
やはり氷を入れてキンキンに冷えてなくちゃ。

大人になってからは、冷蔵庫にカルピスが常備されているようなこともなくなったが、旅先などで咽喉が渇いたときには、カルピスウォーターやカルピスソーダを飲むことも多い。
しかし、カルピスウォーターは自分で作るカルピスよりもかなり薄いので若干不満がある。
カルピスソーダも美味いが、あれは別の飲み物だ。

やはりカルピスは自分で濃さを加減できるのがいい。
原液を薄めて作るカルピスは、濃さを一様にするために撹拌させる必要がある。
また、氷が溶けてくると上のほうが薄くなってきてしまう。
そこで昔はどの家庭にも、プラスチック製のマドラーのようなものがあった。
うちにはたしか、先が小さいスプーン状になっているもの、先に玉状のものがついているもの、先に2枚の円形の板が十字に組み合わさったものが付いているものがあった。
プラスチック製だから、多少乱暴にかき混ぜてもコップに傷が付かない。
あの手のものは今でも手に入るのだろうか。
あれば是非手に入れたい。

ところで、妻が買ってきたカルピスは紙パックだった。
贈答品用のもの以外はすべて紙パックになってしまったようだ。
贈答品用のものも、昔のような紙に包まれていたものとはずいぶん違うように見える。
昔の瓶のものの容量は633mlだったようだから、今の500mlの紙パックよりは多少多い。
しかし、容量の差や、僕が相対的に大きくなったのを考慮しても、紙パックは瓶に比べてずいぶんコンパクトになってしまったように感じられる。
それはそのままカルピスの存在感の低下を表しているようにも思えてしまう。

最近では多種多様な飲料が発売され、自動販売機やコンビニで手軽に買えるようになり、いちいち自分で希釈しなければならないカルピスは、昔ほどは売れなくなってしまったようだ。
物議を醸した黒人マークもなくなり、瓶は紙パックに変わった。
僕も暑いときにはまずビールというようなオジサンになってしまった。
しかし、久しぶりに飲んだカルピスは、夏休みのある日の午後、炎天下で遊んだ後に扇風機で身体にまとわりつく熱気を吹き飛ばしながら飲んだあのときと同じに、甘酸っぱくてとてもおいしかった。

寿司

日曜の夕食は大体僕が作ることになっているのだが、風邪のせいでまだだるいのであまり作る気になれない。
とはいえ、今日も仕事の妻に作ってもらうのも悪いし、本人もあまり乗り気ではなさそうだ。
そこで、久しぶりに寿司の出前を取ることにした。
高級な店のものではなく、さらにその店でも安いセットだったが、そこらのスーパーのパック寿司などとは比べ物にならない。

子供の頃、うちでもたまに寿司の出前を取っていた。
たいていは日曜日だったように思う。
日曜の夕食といえば、夏はそうめん、冬は鍋物が多かったような気がする。
やはり母親も日曜は楽をしたかったのだろうか。

寿司を取るのは夏が多かったような気がする。
うちではいつもは7時過ぎに夕食をとっていたが、日曜だけは早かった。
サザエさんをやっている時間、つまり、6時半から7時にかけてもう食べ始めていたと思う。
夏の頃ではまだ夕方といった感じだ。
うちでは食事の時間にテレビは禁止、などということはなかったので、僕はマジンガーZ、父親はもう一台のテレビでナイターなどを見ながら食事をしていた。
別にそれで会話がなくなるといったこともなかったように思う。

店に行くことはあまりなかった。
行っても注文するのはにぎりの並とか上とかで、カウンターでひとつずつ注文するような食べ方をしたことはなかった。
うちは特に貧乏というわけでもなかったと思うが、まあ堅実だったのだろう。

小さい頃は、僕は魚の寿司、つまりにぎりやちらしはとってもらえず、のりたま専門であった。
のりたまとは、かんぴょう巻と玉子焼きのみのセットである。
当時はそれほど不満もなかった。
とにかくお腹がいっぱいになればよかったのかもしれない。
父はにぎり専門、母はにぎりや鉄火巻きやちらしなど、いろいろと頼んでいた。
そして僕の好物のものをいくつか分けてもらっていた。
特に海老を欲しがった。
今でも海老は大の好物だ。
海老がなくてシャコが入っていることもあったが、それでもよかった。
わさびだけは取ってもらっていた。

母親は少食だったので、残すこともしばしばあった。
それは腹が減っている僕にすべて…とはもちろんいかなかった。
冷蔵庫で保存していたので翌日はカチカチになってしまう。
小さい頃は電子レンジもなかったから、蒸し器で蒸して食べていた。
しゃりは温かくなり、海苔はしんなりとし、マグロなどは当然火が通って白っぽくなったりしてしまうのだが、それはそれでなかなか旨かったのを覚えている。

ところで、僕が子供の頃の寿司は、今のものよりしゃりに酢が効いていたような気がする。
ねたの味を生かすためにバランスを考えているのだと思うが、僕には今の寿司はちょっともの足りない。

小学校中ごろからだったと思うが、普通のものを注文してもよいということになった。
いつもちらしを頼んでいた。
にぎりよりもご飯が多そうな気がしたからである。
当時はとにかくいつも腹が減っていた。
今思うと、にぎりはしゃりが圧縮されているので、ちらしと比べて量が少ないわけではないように思う。
今はにぎりしか食べない。

一人暮らしをはじめてから、しばらくは寿司はあまり食べなかった。
外食すること自体あまりなかったし、スーパーのパック寿司を買うくらいなら刺身とご飯でいいと思っていた。
友人と回転寿司に行くことがあったくらいだ。
しかし、ふと目に付いた近所のちよだ鮨で買ったにぎりがなかなか旨かったので、それからはしばしば買うようになった。

今では、スーパーやデパ地下のパック寿司が中心だ。
相変わらず店で注文して食べるといったことはないが、これは成功して引退してからのお楽しみとしたい。
今日は久しぶりの出前だったが、これもなかなかいいもんだ。

2009年4月25日土曜日

レコードプレーヤーとカセットデッキゲット

魔が差してというか、
ついうっかりというか、
調子に乗ってというか、
実は当然故意犯的に、レコードプレーヤーとカセットデッキをヤフオクで落札してしまった。
まあ、4月12日の投稿を読んでた皆さんはどうせやると思ってたでしょ?

レコードプレーヤーやカセットデッキは、自作するのは現実的にはまず不可能なので、製品になったものを買うしかない。
レコードプレーヤーは、フォノモーターとトーンアームを買ってキャビネットは自作という手もあるのだが、とりあえずということで完成品を買ってしまった。
フォノモータとトーンアームは単体でも売られていたものなので、あとでキャビネットを自作するということも考えられる。

手に入れたレコードプレーヤーはLo-dのHT-840で、カセットデッキはビクターのTD-V731である。
個々の詳細については後日レポートしたい。
双方とも年代物だが、動作に問題はないようだ。

もううきうきわくわくで、所有のレコードやカセットをとっかえひっかえ聴きまくり!
…といきたいところなのだが、置き場所に困っている。
AV機器はテレビ台に使っているエレクタにぶち込んでいるのだが、特にレコードプレーヤーは使いづらくてしょうがない。

そこで、工作意欲が湧いてきたと常々言っていたが、まずはオーディオラックを作ることにした。
作りやすさ、運びやすさを考えると、長岡鉄男式のロの字型の合板の箱を重ねるタイプのものがよさそうだ。
入れるものは、レコードプレーヤー、カセットデッキ、アンプ。
AVのAの範疇に入るものだ。
Vも入れてしまうと大型になり過ぎると思う。
21mm厚のシナ合板を2枚重ねで使って、横600mm×奥行き450mmの箱を三段重ね。
個々の箱の高さは、これから個々の機器の高さを考慮して決めていきたい。

これで腕慣らしをして、木工するものはこのあと、リビングのスピーカー、寝室のスピーカー、レッスン室のスピーカー、レッスン室のラックと、続々控えている。

リビングのスピーカーは、どうせ作るならということで、やはりスーパースワンに挑戦しようと思う。
寝室のスピーカーは、ベッドに寝転びながら聴くためのもので、壁掛けのものを。
レッスン室のスピーカーは、ヴァイオリンの音色が美しいもので、できるだけ場所をとらないものにしたい。
レッスン室のラックは、ノートパソコンと、将来導入予定のブラザーのA3複合機を上面に置いて、下には楽譜を収納するためのものだ。
レッスン室のスピーカーとラックはサイズ等合わせて考えたい。

現在は、アンプはラステームのRSDA302Uを使い、テクニクスのSUV-500をフォノイコライザ兼セレクタとして使っている。
もちろんこれは暫定的なものであって、もっとマシな構成にしたい。
プリアンプを買うことも考えられるが、もったいないので作ることにしたい。
アンプは当分現状のRSDA302Uでいくとして、フォノイコライザとセレクタを作らなければならない。
アナログ音源をPCに取り込むためにオーディオインターフェースが必要なのだが、これは買ったほうがいいかな。
寝室用とリビング用にアンプも必要だ。
これは簡単にD級アンプのものを作るか。
ゆくゆくは真空管アンプにも挑戦してみたいが、当分先の話になりそうだ。

リビングのオーディオは、そのうちスピーカーマトリックスにも挑戦したい。
また、ベリンガーの安いイコライザなんかでも遊んでみたいが、とりあえず、スピーカー特性を測定するためのマイクなんかを買おうかな。

やることがたくさんあって楽しい限り。
もちろん引退に向けての副業とかを忘れたわけではないが、楽しいこともしなくちゃね。

2009年4月24日金曜日

風邪の日・休みの日

まず空咳が続き、それが治まってくると咽喉が痛くなってきて熱、だる気が出てくる。
僕の風邪の引き始めは大抵こんな感じだ。
咽喉の痛みの感じは段階的に変化していく。
初めはただ痛いだけだ。
咽喉の奥のほうの扁桃腺辺りだろうか。
腫れていて咽喉が圧迫されているような感じもする。
その後、咽喉のより口に近い辺りがなんだかざらざらしているようななんともいえない嫌な感じに変わってくる。
その頃になるとまた咳が出始めるが、痰を伴った湿った咳になってくる。
鼻水やくしゃみも出てくる。

昨日は見事にこのパターン通りだった。
寝込むほど酷くはなかったのだが、有給を取った。
これで今月は二日半有給を取ったことになるが、どうせ今は暇なのだ。

無論体調が悪くて休んでいるわけであって、遊びに行ったりできるわけではないのだが、なんとなく浮き浮きしてくる。
好きなだけ本を読んだり音楽を聴いたりしていてもいいのだ。
理想的な生活じゃないか!
もっとも熱っぽくて頭も多少ぼーっとしているので、あまり難しい本は読む気にならないし、読んでも理解できない。
昨日は昔のステレオ誌の工作特集や長岡鉄男のスピーカー工作の本をずーっと眺めていた。

音楽もあまり激しいものは聴く気にならない。
昨日はバロックがちょうどよかった。
もっと熱が高いときは、『トロピカル・ダンディ』や『はらいそ』辺りの細野晴臣がふらふらゆらゆらしている脳みそとシンクロして気持ちいい。
そのままはらいそに逝ってしまいそうになる心地よさだ。
昨日は残念ながらそれほど熱は上がらなかったようだ。
助かった。
うちの体温計は壊れているので、実際に何度だったかはわからない。

子供の頃は比較的身体が丈夫な方だったと思うが、それでも熱を出して学校を休むことも何度かあった。
朝目が覚めると布団の中なのに寒気がして手足が冷たいが顔だけは火照っている。
寝ているのに視界が回ってどこかに落ちそうでどこにも落ちないようで変な感じだ。
察した親に言われるままに体温計を脇に挟む。
なぜか怒られるんじゃないかと不安になる。
実際には、体温計を見た親はいつもよりは優しく、学校は休みになる。
ほっとして、ぼんやりした頭で布団に戻る。
動作は重く、意識と身体の反応がずれているような感じだ。
掛け布団が足されるが、手足はなかなか温まらない。
その一方で、今日は学校に行かなくていいんだという実感が湧いてくる。
なんかずるしているようで後ろめたいが、ちょっとわくわくする。
今日は特別な一日だ。
別に学校に行くのが嫌だったわけではない。
しかし、普段なら教室で級友たちとつまらない授業を受けているはずの時間、僕だけは布団で横になって好きな本などを読んでいていいのだと思うと、なんとも開放的な気分になり、不思議な多幸感で熱っぽい頭がいっぱいになった。

J・G・バラード死去

英のSF作家、J・G・バラードさん死去
   
 J・G・バラードさん(英国のSF作家)が、英メディアによると、19日、がんで死去、78歳。代理人によると、数年間がんを患っていたという。

 30年、中国・上海生まれ。第2次世界大戦開戦後、家族とともに日本軍の捕虜収容所に抑留された。その体験をもとに書いた「太陽の帝国」(84年)は、スティーブン・スピルバーグ監督によって映画化された。主な作品に「結晶世界」(66年)、映画化された「クラッシュ」(73年)などがある。(ロンドン)


最近毎日ブログを書くという習慣から離れていたせいか、こんな重大なニュースについても書くのがすっかり遅れてしまった。

高校の頃夢中になって読んだ。
特に、創元推理文庫から出ていた60年代の『沈んだ世界』『燃える世界』『結晶世界』の破滅三部作や『溺れた巨人』などの短編集だ。

じわじわと崩壊していく世界の美しい描写にしびれた。
なすすべもなく巻き込まれていく主人公への強い共感。

しかしさすがに細部はよく覚えていない。
これを機会に読み返したい。
そういえば、一番有名であろう『太陽の帝国』は未読だ。
買う機会を逃して絶版になってしまったものもあるが、彼の死をきっかけに再販されるかもしれない。
こんなことでもないと読めない名作があるなんて、世の中どうかしてるよ。

2009年4月21日火曜日

山下達郎Performance 2008-2009(神奈川県民ホール)

先日の大宮ソニックシティに続き、神奈川県民ホールまで山下達郎のコンサートに行ってきた。
1つのツアーで2回行くのは初めてだ。
1回行ければいいかなと、ぴあの先行予約で何回か申し込んだら2回分当たってしまったというのが真相なのだが、感動は何度味わってもいい。

さらに最終日の中野サンプラザにも申し込んだのだが、残念ながら当たらなかった。
山下達郎のコンサートといえば中野サンプラザの印象が強い。
前回のRCA/AIR YEARSのツアーでNHKホールに行ったのを除けば、これまで行ったコンサートはいつも中野サンプラザだった。

しかし、毎度チケットを取るのに苦労する。
山下達郎三ない主義といえば、今は「武道館でやらない」「TVに出ない」「本を書かない」のようだが、昔は「ファンクラブを作らない」「TVに出ない」「本を書かない」だったと記憶している。
いつの間にかファンクラブができていて、チケットの優先予約をやっていることも知っていたのだが、「なんだ言ってることと違うじゃねーか!」と、ちょっとむかついてファンクラブには入っていなかった。
僕は今回のコンサートのMCではないが杓子定規な性格なのだ。
しかし最近は年のせいか、そんなことにこだわっているのも馬鹿馬鹿しいと思うようになってきた。
次回のツアーのためにもそろそろファンクラブに入ってみようかなあと思っている。
これからは頻繁にツアーをやるそうだし(信じてるぞ!)。
達郎も、そろそろ三ない主義なんて止めて、武道館やTVはともかく本くらい書いてくれないかな?
ロッキングオンジャパンの連載まとめた奴とかでもいいからさ!

今回の神奈川県民ホール、開場18:00、開演18:30なので、17:30の定時に会社を出ても開演ぎりぎりになりそうだ。
そこで午後半休を取ってしまった。
午後半休をとる場合は、13:00に会社を出られる。
さすがに時間に余裕があるので、池袋で妻と待ち合わせて昼食。
ビールも飲んでしまった。
平日の昼間にビール。
最高だ。
サラリーマンなんかやってられっかという気分になってくる。
その後はビックカメラで懸案だった冷蔵庫と洗濯機の注文。
配達は5月5日にしてもらう。
17:30にはみなとみらい線の日本大通駅に到着。

会場そばのエクセルシオールでお茶して、いざ会場へ。
会場では行列もなくすんなり入れ、ツアーパンフレットもあっさり買えた。
大宮ソニックシティとは大違いだ。
いや、これが当たり前だろう。
大宮ソニックシティの入口、ツアーグッズ売り場の作りの悪さは異常だ。

今回の席は3階席。
しかし、大宮ソニックシティのときの2階席よりもステージに近く、眺めはよかった。
椅子も若干だがマシだった。
しかし、音は大宮ソニックシティの方がよかった。
今回はエコー過多というか音がこもっているような感じがした。
あと、これは前回も感じたのだが、サックスの音がきつ過ぎて耳に突き刺さるような感じだ。
これはもちろん土岐英史が悪いのではなくて、マイクやPAの設定のせいだろう。

演奏は、はじめは達郎の声にちょっと違和感を感じた。
なんか無理して出しているような感じで、テンポもちょっと悪かったような気がする。
しかし、途中から尻上がりにどんどんよくなっていった。
観客のノリは大宮ソニックシティのときより格段によかったので、そのおかげもあったのかも。
バックミュージシャンもノリノリで、特に難波弘之は凄かった!

3階席はスタンディングしている人も見当たらず、比較的のんびりした雰囲気。
ところで僕は、できれば座ったままライブを見たいタイプだ。
「最初から総立ちじゃなければならない」とか「~の曲が始まったら絶対立たなきゃ」とかは勘弁して欲しい。
なんか常連が勝手に決めた決まりごとみたいなものに従わなきゃならないのが嫌なのだ。
アイドルのライブでマスゲームみたいにみんなと同じ振り付けしていないと睨まれるみたいなのと同じような気持ち悪さを感じる。
ロックらしくねーよ、そんなの。
だから『レッツ・ダンス・ベイビー』でクラッカーを鳴らしたこともない。
やっぱひねくれてんのかね?

2009年4月16日木曜日

春走

満開だった桜もあっという間に青々とした葉桜に変わり、街の景色は魔法のように一転した。
しばらく春寒だった陽気もいきなり初夏を思わせるほどになり、外を歩いていると汗ばむくらいだ。
花粉も納まりつつあり、外で運動するには心地よい季節である。
とはいえ、冬の間にますます肥大化した重い腰はなかなか上がらない。
ようやく再開したランニングも、なかなか毎日は続かない。
少し走ると途端に体が悲鳴を上げる。
無理は禁物。ゆっくり走ればいいのだ。とわかっていても、気持ちはあせるばかりだ。
有酸素運動は最低20分は続けないと脂肪燃焼の効果は出ないといわれている。
できれば朝晩30分ずつくらいは走るようにしたいところだ。
以前、朝30分、夜40分のエアロバイクと食事制限により2ヶ月で11kgの減量を成功させたことがある。
できないはずがない。
今年の健康診断(一日人間ドック)は6月26日に受診することに決まった。そのときまでにある程度減量の成果を出しておきたい。

2009年4月14日火曜日

洗濯機

一人称としてやはり“筆者”はちょっと堅苦しいので、以降“僕”にする。

洗濯機も僕が独身の頃から使っているサンヨーの一般的な全自動式のASW-50H3である。
なぜサンヨー製が多いかというと、実家がサンヨーチェーンの家電店を営んでいたからだ。
店は父がなくなった後は従業員だった方に譲り渡してしまった。
犬と高いところが苦手な僕に電器屋は無理だ。

ネットを見ていると洗濯機は7、8年で買い換えている人が多いようだが、ずっと一人暮らしで洗濯物が少なかったためか、ASW-50H3は12、3年経つにもかかわらず元気に働いてくれている。

しかし、脱水後に蓋を開けると洗濯物の上に水が落ちてくる不具合が出るようになってきた。
パッキングが痛んでいるのかもしれない。
洗濯自体に問題はないといってもちょっと不便なので、思い切って冷蔵庫と同時に買い換えることにした。

どうせ買うなら流行のドラム式、と思っていたのだが、調べてみるとどうもあまりよくないようだ。
従来の縦型のものより劣っている点は、
・洗浄能力が劣る
・洗濯に時間が掛かる
・電気代が掛かる
・サイズが大きい
・重い
・高価である
あたりだろうか。

従来の縦型よりいいのは、
・水が少なくて済む
・音が静か
・格好いい
くらいか。

また、乾燥機能を定期的に使わないと臭いが付くという欠点もあるようだ。
洗濯から乾燥まで一度にできるのは便利なようだが、改良されてきているとはいえ洗濯物はしわになるようなので、しわが付いてもいいものとそうでないものとに分けなければならず、結構面倒だ。
やはり乾燥機は専用のものがよいようだ。
それにうちは夫婦二人だけなので、育ち盛りで汚れ物が多い子供が居るうちとは違い、それほど乾燥機の必要性を感じていない。
いざというときは浴室乾燥機もあるし。

こうしてみると、ドラム式のメリットなんてほとんどない。
では、なぜドラム式は流行ってるのだろうか?
みんな、メーカーの宣伝のうまさ、雑誌等メディアの適当なちょうちん記事のせいで、格好よさげなイメージに乗せられているだけはないのか?
そもそも本当に売れているのかもわからん。
サイクロン式掃除機なんかもそうだが、従来と比べて全て勝っている画期的な製品がでるなんてことはめったになく、いろいろなトレードオフがあるものなので気をつけなければならない。
まあ、イメージに乗せられて未成熟な製品を買ってしまう消費者も多いから技術の進歩があるのだが。

ということで、うちでは縦型のものを買うことにした。
サンヨーのASW-E10ZAである。
電解水で洗うというのに興味を持った。
現行機種で電解水機能が付いたものは、他に乾燥機能を持つAWD-E105ZBがあるが、縦型の乾燥機能はドラム式に輪をかけてしわが付くようなので、乾燥機能のないASW-E10ZAで十分だ。

発売日が2005年9月21日と、発売されてから結構日がたっているが、縦型の洗濯機は技術的に十分に成熟されていると思われるので、すぐに新製品が出てもあまりがっかりするようなことはあるまい。
不具合があっても解消されているだろうし、実売価格もこなれているようだ。

冷蔵庫

うちの冷蔵庫は筆者が独身時代から使っているサンヨーのSR-33Rで、もう12、3年も使っているだろうか。
いまだ冷却機能に問題はないのだが、冷蔵室に重たいものを詰めすぎると冷蔵室の床が野菜室に抜けるという持病がたびたび出るようになってしまった。
うちはホームパーティなど食材を多量に買い込む機会も多いので、これは困る。
また、義母が度々野菜を送ってきてくれることもあり、325リットルの容量では足りなく感じてきた。

12、3年も使えばそろそろ買い換えてもいいだろう。

できるだけ大容量のものを、といっても、うちのキッチンは狭いのでかなり制限がある。
特に幅は60cmまでのものしか入らない。

幅が60cmで最大容量のものは、パナソニックのNR-F473TMで、470リットルある。
外寸が同じでもパナソニックのものは他社よりかなり広い。
次点の日立でも465リットルである。

したがって容量で決めるならNR-F473TMなのだが、奥行きが709mmもあり、ドアの開口には1,261mmもの間隔が必要である。
今のSR-33Rの奥行きが635mmなので、74mmも余計に突き出してくる。
まあ、ぎりぎり置けないこともないのだが、正面にはガスレンジとガスオーブンがあるので、調理がかなりしにくくなってしまう。
正直、今のSR-33Rが置いてある状態でも狭いのだ。

パナソニックで次に容量が大きいのはNR-E433Tで、427リットルある。
これでも今より100リットルも増えるので、これで十分なのではないか。
奥行きは659mmなので、NR-F473TMより50mm浅く、SR-33Rと24mmしか変わらない。

同じ外寸でフレンチドアタイプのNR-F433Tもあるが、幅の狭いフレンチドアは使い勝手がよくなさそうなので却下。

日立で同寸のR-SF42YMは415リットルなので、12リットルもの差を付ける。
しかもそのうち10リットルは野菜室の差である。
さらに、色はパナソニックがN・シャンパンかH・クリアグレー、日立がクールグレーかソフトブラウンで、カタログで見る限りではパナソニックの方が綺麗だ。

NR-E433Tにほぼ決めたのだが、パナソニックの冷蔵庫は個体差でうるさいものがあり、交換してもらったという話が価格コムなどで結構あるのがちょっと心配だ。
冷蔵庫は二階の窓から入れるしかないので、交換になったらかなり面倒だ。
また、普段は生徒が頻繁に出入りするので、レッスンが休みのゴールデンウィークに配達してもらうつもりだが、交換となったらまたスケジュールを考えなければならない。
しかし、日立や他社製でも交換がないなんて保証はないし、ここはパナソニックにかけてみるか。

2009年4月12日日曜日

オーディオ計画2(ソース)

現在のオーディオの音源は、主にPCである。
iTunesとナクソス・ミュージック・ライブラリーである。
CD自体を聴くときはハイブリッドレコーダを使うのだが、面倒だからめったに聴かない。
ラジオはオリンパスのラジオサーバーを使っているが、エアチェックしたファイルをPCに転送して聴いている。

これで十分満足しているのだが、趣味のオーディオとしてはちょっと寂しい。
メディアはあるが機器がないものについてなんとかしたい。

現在、うちにはカセットデッキがない。
それどころか、ラジカセを含めてカセットを再生するものはまったくない。
昔、サウンドストリートなどをエアチェックしたカセットが結構ある。
久しぶりに聴きたくなってきた。
一台デッキを手に入れてデジタル化しておきたい。

祖父が残したオープンリールもいくつかある。
オープンデッキも一台置いておきたいところだ。

アナログ盤も結構ある。
アナログ盤は聴くのにいちいち手間がかかるが、それがまたオーディオならではの愉しみでもある。
趣味は雰囲気も大事である。
LP一枚聴くのに、ジャケットから出して、クリーニングして、針を下ろして、と、儀式めいたものが必要だというのもまた愉しいではないか。
SP盤もあるので78回転できるものが望ましいが、選択肢があまりない。
簡単な改造で78回転が可能なものもあるのようので、狙ってみたい。

チューナーは、今のラジオサーバで十分だ。
ハードディスクに録音できるこれは本当に便利だ。
こういうものが高校ぐらいのときにあったらなあ、と、いつも思う。

とりあえず、ターンテーブルとカセットデッキを手に入れたい。
ヤフオクを頻繁にチェックしているのだが、よさそうなのは結構高額になってしまう。
なんとか手ごろなのをがんばって手に入れたい。

2009年4月10日金曜日

オーディオ計画1(スピーカー)

アンプ:ラステームRSDA302U、スピーカー:ベリンガーB2031P、ソース:iTunesの現状の組み合わせは、音楽を聴く上で特に不満があるわけではないが、趣味としてはつまらない。
いろいろいじってみたい欲求が増してきた。
もちろん予算はあまりないので、高価な機器への買い替えなどは行えない。
自作中心で行きたい。
むしろその方が楽しい。
「手段が目的に変わること、過程を楽しむこと、これを文化といい趣味という。」
長岡鉄男の名言である。

スピーカーのB2031Pは、とてもペアで19,500円とは思えない音を聴かせてくれている。
サイズの割りに低音も出るが、ちょっとボン付くようなところが気になる。
サブウーハーを自作して追加することも考えたが、どうせならスピーカーシステムごと自作してみたくなってきた。

せっかく自作するのだから、市販品で簡単に手に入る密閉型やバスレフはつまらない。
長岡鉄男ファンとしては、バックロードホーンや共鳴管に挑戦したいところだ。
うちの狭いリビングに置くことを考えると共鳴管のほうがよさそうだが、バックロードホーンの音も一度体験してみたい。
実はずいぶん前だがスーパースワンを作ろうと思って、限定ユニットのFE108Sを買ってあるのだ。
一時はヤフオクに出そうとも思っていたが、せっかくなのでこれを活かしたい。

共鳴管ならば炭山アキラ氏設計のネッシーminiか。
床の占有面積も狭いし、共鳴管は壁に付けて配置するのが基本なので、スペースファクターは最高である。
工作も簡単そうだ。
気になるのは、どうも低音不足になりそうなところ。
結局サブウーハーが欲しくなりそうだ。

バックロードホーンなら、D-118かスーパースワンか。

D-118は奥行きはあるものの幅は狭く、また、背後の壁に近付けても問題なさそうなので、スペースファクターはまずまずである。
現有のB2031Pと並べて使っても問題なかろう。
低音もネッシーminiよりは出るようだ。

スーパースワンは、奥行きも幅もかなりあって、大きい占有面積を必要とする。
しかも背面開口なので、背後の壁から離して配置しなければならない。
工作もD-118に輪をかけて難しそうだ。
音は、低音と音場感でスーパースワン、迫力と反応のよさでD-118と、一長一短のようだ。

長岡鉄男の代表作といえばやはりスーパースワン。
一度は試してみたいが、今は実用性を考えてD-118にしておくか。
どちらにしろ、とりあえず自室を片付けて工作するスペースを確保する必要がある。

2009年4月9日木曜日

スケジュール表

ぱっと思いついたランク1~3の行動を列挙してみたが、ずいぶんとたくさんになってしまった。
効率よくやらないと、とてもこなしきれない。
うっかりすると、どうしても楽で楽しいランク3の行動ばかりしてしまいがちである。
特にランク2の行動などは、忘れているわけではないのだが、後回しにしがちで、結局時間がなくてこなせないことがよくある。
これではランク分けの意味がない。

そこで、スケジュール表を付けることにする。
スケジュール表といっても、時間ごとにきっちり行動を規定するようなものは、面倒だし、続きそうにない。
各行動について所定の成果を達成するまでの中長期的な計画表と、その日のうちにやるべき行動をリスト化した、いわゆるto-doリストがあればよさそうだ。

計画表は、ぱっと見て進捗状況がわかるようなものでなければならない。
紙でも電子でもよいのだが、とりあえず融通がききやすい紙ベースでやってみることにする。
普通のノートでいいだろう。

to-doリストは、いつでも見られるようにすることが重要である。
したがって、PC、携帯、手帳のようなものではあまり適当でない。
これらは、to-doリストを見るまでに1つ以上のアクションを必要とするからである。
時間の無駄だし、無意識に見ることを避けようとする可能性がある。
また、主に家にいるときの行動についてのリストなので、会社など外出先で見る必要はない。

そこで、ホワイトボードがいいのではないかと考えた。
これなら、ホワイトボードに目を向けるだけでよいし、やり終えた行動を消していけば、残りのするべき行動は一目瞭然である。
これを前日の夜寝る前に更新する。

to-doリストには、ランク1~3の行動だけではなくて、銀行への入金や郵便物の投函などの用事も記入する。
昔からこの手のことを忘れるうっかりミスが多いし、最近物忘れも激しくなってきたので、その対策である。

計画表にしろto-doリストにしろ、あまり凝ったことはしない。
面倒になって長続きしないからだ。
これも筆者のこれまでの人生が証明している。

2009年4月8日水曜日

ランク3

ランク1、2の行動をこなした上で余暇に行う、いわゆる趣味である。

現時点において、
・オーディオ
・電気工作
・写真
・音楽鑑賞
・読書
・自転車
・料理
が、ランク3の行動である。
個々の詳細については追々書いていきたい。

筆者の趣味や興味があることは他にもあるが、予算と時間の制約からあきらめることにしたものもある。
・旅行(特に海外)
・スキー
・自動車
・マリンスポーツ(スキューバダイビング等)
・絵画
・バイオリン以外の楽器
・園芸
等がそうである。

現状のランク3の行動でも、ランク1、2を優先させるため、こじんまりとしたものにならざるを得ない。
また、趣味とはいえ、少しでも事業に活す可能性を探ることを常に念頭におくようにしたい。

ランク3の行動は、自分の好きなことをやるのだから、なんの努力も要らない。
するのに努力が要るものを趣味とは呼ばない。
むしろ、ランク1、2の行動の妨げにならないように、やりすぎに注意しなければならない。
筆者の最終的な目的は、趣味を思う存分やりまくることである。
そのためには、現状ではランク1、2の行動を優先し、早くそのような環境を実現するために頑張らなければならない。

しかしながら、息抜きも必要である。
ランク3の行動でリフレッシュするようにしたい。

また、ランク1はともかく、ランク2の行動は、興味が増して努力を必要としないようになればランク3となる。
そうなればこっちのものである。

2009年4月7日火曜日

ランク2

将来役に立つであろうスキルを身につけるための行動等である。
習慣的に行わなければならず、多少の努力が必要なものが該当する。

現時点において、
・外国語の学習
・身体的トレーニング
・バイオリンのレッスン
・文章を書く訓練
がランク2の行動である。

ランク2の行動は、実際に事業に役立たせるためには長期的に練習を積んでいく必要があるものである。
いわゆる自分磨きという奴だ。
努力嫌いの筆者がもっとも苦手とするものである。
しかし、ランク2の行動は、やればやるほど将来的に事業に活かせる可能性がある。
やってやりすぎることはない。

外国語の学習は、やはり英語に決めた。
英語できる人なんてもうたくさんいるし、他の言語をとも考えたが、一番役にたちそうなのはやはり英語だし、いくら英語が苦手といっても、他の言語を一から始めるのに比べればはるかに楽だ。
役立つまでの時間も短いだろう。

身体的トレーニングは、事業に直接役立つというものではないが、なんといっても身体が資本だ。
この冬は自転車にもまったく乗らず、ずいぶん太ってしまった。
汗対策も大変だし、通勤時の読書時間も結構貴重なので、自転車通勤は当分見合わせることにした。
最近は毎週自転車に乗る気にもならない。
そこで毎朝ランニングをすることにする。

バイオリンのレッスンは、営業の一環である。
つまり、バイオリン教師の夫である筆者が上手くなれば、宣伝効果があるだろうということだ。

この先、いろいろな事業を手がけていく上で、文章を書く機会は確実に増えるだろう。
文章を売り物にする事業の可能性もある。
そこで、このブログでその練習をすることにした。
これまでは『I talk to the wind...』のタイトルの下、誰に宛てるというわけでもなく心の赴くままに書き連ねてきたが、これからは他人に読んでもらうことを念頭に置く。
さまざまな主題について書こうと思う。
いろいろな文体で書いてみるのも面白いかもしれない。

ランク2の行動も趣味ではない。
しかし、興味がないとを長続きさせるのは困難だろうから、なるべく面白楽しくできるように工夫していきたい。

ランク2の行動がしっかりできるようになれば、筆者もやっと一人前になれたということのような気がする。

2009年4月6日月曜日

ランク1

最優先でやるべき行動である。
事業において具体的にやるべきことが決まっているものがこれにあたる。

現時点において、
・教室の会計のための勉強
・教室のWebページの改定
・生徒のデータベースの構築
・スケジュール管理システムの構築
・レッスン時のビデオ活用の研究
がランク1の行動である。

教室サイト事業が進展したら、その営業、SEO対策などがランク1の行動になるだろう。

ランク1の行動で気をつけなければならないのは、趣味ではないということである。
興味があるなしにかかわらず、正確に、迅速に、過不足なく必要十分な量だけやらなければならない。
変なところにこだわったり凝ったりして、時間がかかり過ぎないように注意しなければならない。

会計では、『弥生会計』等の市販ソフトを使えばよいだろう。
今度、妻と青色申告会にいろいろ教えてもらいに行くつもりだ。

Webページは、当初ホームページビルダーを使ってみたがいまいち使いづらかったのでHTMLの手打ちで作ってしまったのだが、堀田君からホームページビルダーは楽だと聞いたのでもう一度使ってみることにした。
専門家の意見は尊重したい。
楽に作れればそれに越したことはない。

生徒のデータベース、スケジュール管理システムは、エクセルで組むのが現実的だろうか。
ここで、どうせなら本格的になどと考えてMySQLなどに手を出さない方がよいだろう。
かつての筆者はどうもそういう方向に行きがちだったから、気をつけなければならない。

レッスン時のビデオの活用は、筆者が習っていて弓が曲がっているとか言われてもいまいちピンとこなかったことから思いついたものである。
なるべく安価で使いやすいように構築できるようにするつもりだ。

これらランク1の行動は、スケジュールを決めて確実に実行するようにしなければならない。

行動

独立を目指して、具体的には昨日書いたようなことを実行するにあたって特に必要なのは、やはり行動力であろう。
あれこれ考えているだけでなく、するべきことを迅速かつ確実にこなしていかなければならない。

昨日の妻や堀田君夫妻との会話の中で、段々自分のするべきことが見えてきたような気がする。
しかし、頭の中でおぼろげに考えているだけでは、実施に行動に移すことは難しい。
情けないことがだが、好きなことだけを気の向くままに行ってきた筆者にとっては少なくともそうである。
それはこれまでの人生で証明されている。

そこで、するべきことを3つのランクに分けて列挙してみることにする。

2009年4月5日日曜日

心機一転

あっという間に4月になり、桜も満開だ。
心機一転するにはいい時期だ。

常々ことあるごとに仕事を辞めたいといっているが、そのたびに自営業の妻などには、サラリーマンの方が気楽だよと言われている。
確かに身一つで稼いでいる立場からしたら、ぬるま湯のような環境にいるサラリーマンのたわ言にしか聴こえないだろう。
しかし、このままでは定年まで同じように会社に行って同じような仕事をしなければならないのだと考えると、うんざりしてほとんど絶望的なまでの気分になってくる。
サラリーマン生活にはもう飽き飽きだというのは心の底から本音だ。

かといって、なんの考えもなしに今仕事を辞めても妻の収入だけではあっという間にローンの支払いも滞り、路頭に迷うのは必至である。
何か稼ぐ手段を見つけなければならない。
いきなりなにか自分で事業を立ち上げるなんてことは無謀なので、まずはできるところからである。

今考えているのは、妻の音楽教室の事業拡大の手助けと、堀田君との教室サイト事業である。
この二つはうまくリンクさせて発展させていくことができそうだ。
しかし筆者は今のところ、音楽教室では簡単な手伝いしかできず、教室サイト事業では堀田君にサイト構築をまかせっきりで、なんとも歯痒い限りである。

何の専門家でもない筆者がなんの役に立てるのか?
教室では経理、事務、企画、その他、音楽教師以外のすべてのことを担当すべきだろう。
教室サイト事業では、システム完成後の営業やその他すべての雑務といったところか。

これらのことに関しても経験はないが、やらねばならない。
もちろんどれひとつとっても簡単なことではないだろう。
時間もとられるだろう。
しかし、メインプレーヤーではないものの、自分の頑張りが成功を多少なりとも左右する、儲けにつながる、と思うとわくわくする。
このダイレクト感が今のサラリーマンとしての仕事とは違うところだろうか。

なにかここですべてが変わっていくような期待感に胸が膨らむ春である。
しかしそれには自分から能動的に変わっていくようにしなければならないだろう。
特に飽きっぽい性格にもおさらばしないと。