一時期すごく仲がよかったのに、進学や引越しなどで生活環境が離れてしまったのがきっかけで疎遠になってしまった。
筆不精で面倒くさがりで、その上淡白な性質なせいか、僕にはそういう過去の存在になってしまった友人が結構多い。
僕の両親は一度離婚しかけたことがある。
母の浮気が原因らしかった。
母のパート先の同僚であるその相手は、背が高くてハンサムなスポーツマンだった。
気さくな性格で、僕のこともかわいがってくれた。
母と彼が実際にどの程度の仲になっていたのか、僕は知らない。
実際に浮気だったのかもしれない。
父が単に嫉妬深かっただけで、単なる友人だったのかもしれない。
とにかくそのことが原因で両親は不仲になり、僕と母は母方の祖母の家に一時身を寄せることになった。
僕が小学校に上がる直前のことだ。
祖母は当時、日野の公団に一人で暮らしていた。
僕は本来行くはずだった地元の小学校ではなく、日野の小学校に入学することになった。
このあたりは当時人口増加の真っ最中で、小学校も新しく綺麗だった。
担任は若い女性の優しい先生だった。
級友たちはみな「いい子」ばかりであり、喧嘩などは見たことがなかった。
彼らはよそ者である僕をすぐに受け入れて、仲良くしてくれた。
両親の話し合いの結果、僕と母は父の元へ戻ることになり、僕は一月足らずで地元の小学校へ転校することになった。
両親が離婚に至らなかったのはうれしかったが、せっかく仲がよくなった級友たちと離れるのは残念だった。
改めて入った地元の小学校は歴史がある学校で、校舎は古く汚かった。
担任は年配の女性で、怖い先生だった。
級友は該して幼稚で、粗野な生徒も多く、喧嘩も多かった。
初めは、居心地のよかった日野の小学校に比べてしっくりこなかった。
だが保育園時代の友人が多かったこともあり、そのうち僕もその中に自然と溶け込んでいった。
しかし、日野の小学校の方が僕がいるべき場所だったという思いは消えない。
あのとき両親が離婚して、日野の小学校に残っていたらどのような人生になったのだろうと、今でもたまに考えてしまう。
日野の小学校では、一人の少年と特に仲良くなった。
彼は同い年の他の友人と比べると、非常に大人びていた。
小さい頃から本の虫だったような僕ととても話が合い、それまでは一緒に虫取りしたりごっこ遊びするような友人しかいなかった僕にとって新鮮で刺激的な相手だった。
彼とは放課後毎日のように遊んだ。
当時の日野はまだ開発があまり進んでおらず、野山や河原に自然がたくさん残り、田畑も多く、遊ぶ場所には事欠かなかった。
地元の彼に案内してもらい、いろいろな場所で遊びながらいろいろな話をした。
彼の一家は古い公団住まいで、それほど裕福な家庭ではなかったのかもしれない。
しかし、訪ねた彼の家の中は清潔で整然と整えられており、彼を培った環境にふさわしいものであった。
当時の小学生の学習机は、キャラクターがあしらわれ、ライトや鉛筆削りなどの付属品がごてごてとついたものが主流であったが、彼の机は彼の兄のお下がりの古風な文机だった。
これがどことなく彼の性格を象徴しているようで、実に格好良かった。
別れが決まり、最後に遊んだとき、彼は少し遠くにある林の中の大きい水溜りのような沼に連れて行ってくれた。
秘密の場所だったのかもしれない。
そこにはこれまでに見たことがないほどの無数のおたまじゃくしがいた。
あの光景は今でも忘れられない。
彼とはそれ以来一度も会っていない。
手紙も一二度やり取りしただけだと思う。
祖母の家に遊びに行ったときにでも会う機会はいくらでも作れたはずだが、そうしなかった。
なにか照れがあったのかもしれない。
彼とはもう二度と会うことはないだろう。
彼とは、子供の頃のわずかなひと時をともに過ごしたというだけの関係に過ぎない。
しかし、彼は、あの時確かに僕のかけがえのない大切な「親友」であったのだ。
2009年4月30日木曜日
2009年4月29日水曜日
横浜
「近くて遠い街」
僕にとって横浜とは常にそういう存在だった。
ここでいう「横浜」とは、観光客や買い物客が集まる関内周辺のことである。
僕は生まれは東京、育ちは神奈川である。
生まれてすぐに川崎市多摩区に引っ越してそこで育った。
多摩区の中で2回ほど引っ越したが、すぐ近所だった。
2年前まで住んでいたマンションも多摩区の隣の麻生区で、しかもほとんど多摩区と麻生区の境界辺りだった。
どの家も最寄の路線は小田急線。
つまり僕はこれまでの人生の大部分の間、川崎市西部の小田急線沿線の住人であったのだ。
川崎市と横浜市は隣接している。
東京都と横浜市の間に川崎市が挟まっている感じだ。
僕が住んでいたのはつねに比較的東京寄りだったが、川崎市は南北に短いので、自転車でちょっと行けば横浜市に入れる。
しかし僕は「横浜」に数えるほどしか行ったことがないのだ。
隣の市なのになぜ行く機会がなかったのか?
僕が子供の頃住んでいた家の最寄り駅は向ヶ丘遊園だったが、登戸も近かった。
登戸から関内まで行くには、南武線で川崎まで行って京浜東北線に乗り換えるか、南武線で武蔵小杉まで行って東急東横線に乗り換えて横浜まで行き、横浜市営地下鉄に乗り換える必要があった。
どのルートで行っても一時間近く掛かった。
しかし、登戸から新宿まで小田急線で20分強で行くことができるのである。
渋谷までも下北沢で京王井の頭線に乗り換える必要があるが、同じくらいの時間しか掛からない。
つまり、横浜に遊びに行くよりも東京に遊びに行く方が速かったのだ。
(ついでに電車賃も安い!)
うちは川崎市のかなり西寄りで、関内は横浜市の東端である。
川崎市は東西には長い。
直線距離もある上に、上記のように経路は折れ曲がっている。
時間が掛かるはずだ。
そんなわけで、買い物に行ったり遊びに行ったりするのはもっぱら新宿や渋谷で、横浜に行くことはほとんどなかった。
ちなみに川崎市の中心部である川崎駅近辺は、今でこそ地下街のアゼリアなどができて綺麗に整備されているが、昔はやくざが多い吹き溜まりのような雰囲気だったので、遊びに行く先の選択肢にはならなかった。
横浜は遠い存在ではあったが、子供の頃親に連れられて何度か行った。
中華街や、海辺に古い洋風の建物が立ち並ぶその町並みには異国情緒が漂い、子供心にも東京の街とは一味違う趣を感じさせるものであった。
あるホテルのレストランでビーフシチューを食べた記憶がある。
どこの店かはもう忘れてしまったが、古風なインテリアは昭和初期や大正時代のロマンを感じさせるものであり、そこで食べるビーフシチューはなにか特別なもののような感じがした。
「近くて遠い街」であった「横浜」。
東京に引っ越してまた少し遠くなってしまったが、そのうちゆっくり散策したいものだ。
僕にとって横浜とは常にそういう存在だった。
ここでいう「横浜」とは、観光客や買い物客が集まる関内周辺のことである。
僕は生まれは東京、育ちは神奈川である。
生まれてすぐに川崎市多摩区に引っ越してそこで育った。
多摩区の中で2回ほど引っ越したが、すぐ近所だった。
2年前まで住んでいたマンションも多摩区の隣の麻生区で、しかもほとんど多摩区と麻生区の境界辺りだった。
どの家も最寄の路線は小田急線。
つまり僕はこれまでの人生の大部分の間、川崎市西部の小田急線沿線の住人であったのだ。
川崎市と横浜市は隣接している。
東京都と横浜市の間に川崎市が挟まっている感じだ。
僕が住んでいたのはつねに比較的東京寄りだったが、川崎市は南北に短いので、自転車でちょっと行けば横浜市に入れる。
しかし僕は「横浜」に数えるほどしか行ったことがないのだ。
隣の市なのになぜ行く機会がなかったのか?
僕が子供の頃住んでいた家の最寄り駅は向ヶ丘遊園だったが、登戸も近かった。
登戸から関内まで行くには、南武線で川崎まで行って京浜東北線に乗り換えるか、南武線で武蔵小杉まで行って東急東横線に乗り換えて横浜まで行き、横浜市営地下鉄に乗り換える必要があった。
どのルートで行っても一時間近く掛かった。
しかし、登戸から新宿まで小田急線で20分強で行くことができるのである。
渋谷までも下北沢で京王井の頭線に乗り換える必要があるが、同じくらいの時間しか掛からない。
つまり、横浜に遊びに行くよりも東京に遊びに行く方が速かったのだ。
(ついでに電車賃も安い!)
うちは川崎市のかなり西寄りで、関内は横浜市の東端である。
川崎市は東西には長い。
直線距離もある上に、上記のように経路は折れ曲がっている。
時間が掛かるはずだ。
そんなわけで、買い物に行ったり遊びに行ったりするのはもっぱら新宿や渋谷で、横浜に行くことはほとんどなかった。
ちなみに川崎市の中心部である川崎駅近辺は、今でこそ地下街のアゼリアなどができて綺麗に整備されているが、昔はやくざが多い吹き溜まりのような雰囲気だったので、遊びに行く先の選択肢にはならなかった。
横浜は遠い存在ではあったが、子供の頃親に連れられて何度か行った。
中華街や、海辺に古い洋風の建物が立ち並ぶその町並みには異国情緒が漂い、子供心にも東京の街とは一味違う趣を感じさせるものであった。
あるホテルのレストランでビーフシチューを食べた記憶がある。
どこの店かはもう忘れてしまったが、古風なインテリアは昭和初期や大正時代のロマンを感じさせるものであり、そこで食べるビーフシチューはなにか特別なもののような感じがした。
「近くて遠い街」であった「横浜」。
東京に引っ越してまた少し遠くなってしまったが、そのうちゆっくり散策したいものだ。
2009年4月28日火曜日
『古代ギリシャの音楽』 グレゴリオ・パニアグワ&アトリウム・ムジケー古楽合奏団
前5世紀~後4世紀辺りの古代ギリシアの音楽を、わずかに残された資料から復元したものである。
楽器も絵画などを元に復元したものだ。
楽譜は欠損だらけで、しかも正確な読み方はわからない。
したがって、想像の部分もかなりあるのだが、試みとして面白い。
かくして復元された古代ギリシアの音楽は、なんとも不思議な感じのものだ。
音数は少なく、メロディもあまり抑揚がなく単調。
リズムもあるんだかないんだかよくわからない。
ボーカルは朗読か、きわめて平坦な発声による歌。
なにより詩の内容を伝えることを目的としている感じ。
その内容は、喜劇や悲劇あるいは神への賛歌。
中近東っぽい感じがしたり、東南アジアっぽい感じがしたり、お経っぽい感じがしたり、日本の童謡みたいな感じがするときもある。
現代音楽っぽくもある。
つまり、なんだかよくわからない。
聴いているうちに結構面白くなってくるが、毎日聴きたくなるようなものではない。
しかし、このアルバムの魅力は、音楽的、学術的な部分だけにあるわけではない。
音がいいのだ。
オーディオ評論家の長岡鉄男氏も優秀録音盤として絶賛していた。
ちなみにアナログディスクの方が音が良いそうだ。
楽器の音、声、その他の物音が、すばらしくリアルに聴こえてくる。
エコーが豊かでとても美しく、それなのに元の音がボケていない。
他の普通の音楽のCDで聴くことができる音とは明らかに違う、不思議な感じだ。
できれば良質のオーディオで、ある程度大きい音で聴くことをお薦めする。
文章修行
このところ頑張ってブログの更新に励んでいるが、やはり書き続けていくと文章がスムーズに出るようになってくる。
まだハイハイからつかまり立ちに移行した程度のレベルだけど。
ブログを書く目的は以前とは変わった。
以前は、気の向くままに書いていた。
書くことで、自分の中の漠然とした考えが整理できればいいかなぐらいの気持ちだった。
あまり誰かに読ませようという気はなかった。
なんのことはない、文章の稚拙さ、内容の無さに対する言い訳としてそういう予防線を張っていただけの話だ。
ちんけなプライドが透けて見える。
今、昔のブログを読み返してみると、酔っ払ってノリノリで書いたものなど、結構面白い。
しかしながら、総じて楽屋落ち的で独りよがりなもので、人に読んでもらおう、理解してもらおう、面白がってもらおうという意思があまり感じられない。
今の目的は、文章を書く練習である。
文章を書くことで何がしかの収入を得られないかと考えている。
脱サラのための手段をいろいろ考えているが、今のところこれといったものは思いつかない。
とりあえず今の自分ができるものということで、文章を書くことに専念してみる。
文章といっても、雑誌やウェブに載せる雑文、エッセイ、小説、解説文、いろいろある。
なにを書きたいのか、なにが書けるのかは、まだ自分でもはっきりとしない。
ぼーっと考えているだけでは、いつまでたってもわからないだろう。
ひたすらいろいろ書いていくしかないのだ。
どの道にしても、一定水準以上の文章をある程度量産できることが必要だ。
ブログは一般的に日記のようなものだと思うが、今読んでる森村誠一の『作家とは何か-小説道場・総論』に小説作家志望者についての十ヶ条として、
第一条-覚書、記録以外の日記は書かない。書く場合は読まれることを意識して書く。
第二条-読まれることを意識して書く日記は、修飾(虚言)を施しやすい。虚実ないまぜての日記は本来の日記ではなくなるが、小説の原型となる。
とある。
これに刺激された。
人に読んでもらえるような文章を書けるようにここで練習していきたい。
特にテーマを限定せず、いろいろなことについて書いていきたい。
これまでのような個人的な体験や感想以外に、純粋な創作物も書く。
オーディオなどの話題にしても、読んで楽しく、かつ、役に立つようなものを心がけたい。
最近は書いていなかったが、CDや本のレビューもどんどん書いていきたい。
うちのCDや本の量を考えれば、当分ネタ切れする心配はない。
目標としては、通常の書き込み1つ、CDレビュー1つ、本のレビュー1つを毎日投稿するようにしたい。
今のところ、毎日1つ投稿するだけでもひいひい言っているような状況なので、すぐにできるとは思えないが。
まあ、あくまで目標ということで。
人に読んでもらえるような文章を書くといっても難しい。
この投稿にしても、他人が読んで何が面白いのか、と我ながら思ってしまう。
でも、文章を書いたりネタを考えたりするのは楽しくなってきた。
もちろん、仕事なんかしているよりもはるかに。
まだハイハイからつかまり立ちに移行した程度のレベルだけど。
ブログを書く目的は以前とは変わった。
以前は、気の向くままに書いていた。
書くことで、自分の中の漠然とした考えが整理できればいいかなぐらいの気持ちだった。
あまり誰かに読ませようという気はなかった。
なんのことはない、文章の稚拙さ、内容の無さに対する言い訳としてそういう予防線を張っていただけの話だ。
ちんけなプライドが透けて見える。
今、昔のブログを読み返してみると、酔っ払ってノリノリで書いたものなど、結構面白い。
しかしながら、総じて楽屋落ち的で独りよがりなもので、人に読んでもらおう、理解してもらおう、面白がってもらおうという意思があまり感じられない。
今の目的は、文章を書く練習である。
文章を書くことで何がしかの収入を得られないかと考えている。
脱サラのための手段をいろいろ考えているが、今のところこれといったものは思いつかない。
とりあえず今の自分ができるものということで、文章を書くことに専念してみる。
文章といっても、雑誌やウェブに載せる雑文、エッセイ、小説、解説文、いろいろある。
なにを書きたいのか、なにが書けるのかは、まだ自分でもはっきりとしない。
ぼーっと考えているだけでは、いつまでたってもわからないだろう。
ひたすらいろいろ書いていくしかないのだ。
どの道にしても、一定水準以上の文章をある程度量産できることが必要だ。
ブログは一般的に日記のようなものだと思うが、今読んでる森村誠一の『作家とは何か-小説道場・総論』に小説作家志望者についての十ヶ条として、
第一条-覚書、記録以外の日記は書かない。書く場合は読まれることを意識して書く。
第二条-読まれることを意識して書く日記は、修飾(虚言)を施しやすい。虚実ないまぜての日記は本来の日記ではなくなるが、小説の原型となる。
とある。
これに刺激された。
人に読んでもらえるような文章を書けるようにここで練習していきたい。
特にテーマを限定せず、いろいろなことについて書いていきたい。
これまでのような個人的な体験や感想以外に、純粋な創作物も書く。
オーディオなどの話題にしても、読んで楽しく、かつ、役に立つようなものを心がけたい。
最近は書いていなかったが、CDや本のレビューもどんどん書いていきたい。
うちのCDや本の量を考えれば、当分ネタ切れする心配はない。
目標としては、通常の書き込み1つ、CDレビュー1つ、本のレビュー1つを毎日投稿するようにしたい。
今のところ、毎日1つ投稿するだけでもひいひい言っているような状況なので、すぐにできるとは思えないが。
まあ、あくまで目標ということで。
人に読んでもらえるような文章を書くといっても難しい。
この投稿にしても、他人が読んで何が面白いのか、と我ながら思ってしまう。
でも、文章を書いたりネタを考えたりするのは楽しくなってきた。
もちろん、仕事なんかしているよりもはるかに。
2009年4月27日月曜日
カルピス
妻がカルピスを買ってきた。
カルピスを飲むのは久しぶりだ。
子供の頃、家で飲む甘く冷たい飲み物といえば大抵カルピスだった。
親戚の家でも、友達の家でも、どこでもカルピス。
当時のカルピスの売り上げはかなりのものだったのではないだろうか。
当時の冷蔵庫は小さかったので、常備するのにスペースをとらない濃縮タイプのカルピスは重宝されたのだろう。
当時のコーラなどの炭酸飲料はビンに王冠の栓だったので、現在のペットボトルと違って開けるとすぐに飲まなければならなかったし。
また、乳酸菌飲料のカルピスは健康によさそうなイメージもあったのかもしれない。
当時は100%果汁のジュースなどはまだあまり見かけなかった。
類似品で森永コーラスというのがあった。
たまに親がカルピスではなくコーラスを買ってくると、ちょっと残念だった。
もちろんコーラスも美味しくてカルピスとほとんど変わらなかったのだが、わずかな風味の違いがなんか許せなかった。
どうも僕は嗜好品には多少保守的な傾向があるようで、あるものが気に入ると、その類似品では駄目なのだ。
同様に、朝食に食べていたシリアルはケロッグで決まりであり、シスコーンでは駄目だった。
もっともこれは、ケロッグのおまけのせいでもあるのだが。
フルーツカルピスというのもあった。
これは普通のカルピスとかなり違うものなので、却って大丈夫だった。
昔はオレンジとグレープしかなかったと思うが、最近ではピーチとかいろいろな種類があるようだ。
うちの親はフルーツカルピスはあまり買ってこなかった。
値段が高かったのだろうか。
僕が普通のカルピスの方がいいといったのかもしれない。
しかし、たまにお中元でいただくと新鮮な感じでうれしかった。
カルピスはやはり暑い盛りに飲むのが美味い。
メーカーも、やはり冬になると売り上げが減るのであろう、「冬はホットカルピス」といったCMを打っていたが、どうにも無理があったと思う。
やはりカルピスは夏の飲み物だ。
麦わら帽子や虫取り網がよく似合う。
遠足で水筒に入れくる奴もいたが、僕はあれも好きじゃなかった。
ぬるいカルピスなんて飲みたくない。
やはり氷を入れてキンキンに冷えてなくちゃ。
大人になってからは、冷蔵庫にカルピスが常備されているようなこともなくなったが、旅先などで咽喉が渇いたときには、カルピスウォーターやカルピスソーダを飲むことも多い。
しかし、カルピスウォーターは自分で作るカルピスよりもかなり薄いので若干不満がある。
カルピスソーダも美味いが、あれは別の飲み物だ。
やはりカルピスは自分で濃さを加減できるのがいい。
原液を薄めて作るカルピスは、濃さを一様にするために撹拌させる必要がある。
また、氷が溶けてくると上のほうが薄くなってきてしまう。
そこで昔はどの家庭にも、プラスチック製のマドラーのようなものがあった。
うちにはたしか、先が小さいスプーン状になっているもの、先に玉状のものがついているもの、先に2枚の円形の板が十字に組み合わさったものが付いているものがあった。
プラスチック製だから、多少乱暴にかき混ぜてもコップに傷が付かない。
あの手のものは今でも手に入るのだろうか。
あれば是非手に入れたい。
ところで、妻が買ってきたカルピスは紙パックだった。
贈答品用のもの以外はすべて紙パックになってしまったようだ。
贈答品用のものも、昔のような紙に包まれていたものとはずいぶん違うように見える。
昔の瓶のものの容量は633mlだったようだから、今の500mlの紙パックよりは多少多い。
しかし、容量の差や、僕が相対的に大きくなったのを考慮しても、紙パックは瓶に比べてずいぶんコンパクトになってしまったように感じられる。
それはそのままカルピスの存在感の低下を表しているようにも思えてしまう。
最近では多種多様な飲料が発売され、自動販売機やコンビニで手軽に買えるようになり、いちいち自分で希釈しなければならないカルピスは、昔ほどは売れなくなってしまったようだ。
物議を醸した黒人マークもなくなり、瓶は紙パックに変わった。
僕も暑いときにはまずビールというようなオジサンになってしまった。
しかし、久しぶりに飲んだカルピスは、夏休みのある日の午後、炎天下で遊んだ後に扇風機で身体にまとわりつく熱気を吹き飛ばしながら飲んだあのときと同じに、甘酸っぱくてとてもおいしかった。
カルピスを飲むのは久しぶりだ。
子供の頃、家で飲む甘く冷たい飲み物といえば大抵カルピスだった。
親戚の家でも、友達の家でも、どこでもカルピス。
当時のカルピスの売り上げはかなりのものだったのではないだろうか。
当時の冷蔵庫は小さかったので、常備するのにスペースをとらない濃縮タイプのカルピスは重宝されたのだろう。
当時のコーラなどの炭酸飲料はビンに王冠の栓だったので、現在のペットボトルと違って開けるとすぐに飲まなければならなかったし。
また、乳酸菌飲料のカルピスは健康によさそうなイメージもあったのかもしれない。
当時は100%果汁のジュースなどはまだあまり見かけなかった。
類似品で森永コーラスというのがあった。
たまに親がカルピスではなくコーラスを買ってくると、ちょっと残念だった。
もちろんコーラスも美味しくてカルピスとほとんど変わらなかったのだが、わずかな風味の違いがなんか許せなかった。
どうも僕は嗜好品には多少保守的な傾向があるようで、あるものが気に入ると、その類似品では駄目なのだ。
同様に、朝食に食べていたシリアルはケロッグで決まりであり、シスコーンでは駄目だった。
もっともこれは、ケロッグのおまけのせいでもあるのだが。
フルーツカルピスというのもあった。
これは普通のカルピスとかなり違うものなので、却って大丈夫だった。
昔はオレンジとグレープしかなかったと思うが、最近ではピーチとかいろいろな種類があるようだ。
うちの親はフルーツカルピスはあまり買ってこなかった。
値段が高かったのだろうか。
僕が普通のカルピスの方がいいといったのかもしれない。
しかし、たまにお中元でいただくと新鮮な感じでうれしかった。
カルピスはやはり暑い盛りに飲むのが美味い。
メーカーも、やはり冬になると売り上げが減るのであろう、「冬はホットカルピス」といったCMを打っていたが、どうにも無理があったと思う。
やはりカルピスは夏の飲み物だ。
麦わら帽子や虫取り網がよく似合う。
遠足で水筒に入れくる奴もいたが、僕はあれも好きじゃなかった。
ぬるいカルピスなんて飲みたくない。
やはり氷を入れてキンキンに冷えてなくちゃ。
大人になってからは、冷蔵庫にカルピスが常備されているようなこともなくなったが、旅先などで咽喉が渇いたときには、カルピスウォーターやカルピスソーダを飲むことも多い。
しかし、カルピスウォーターは自分で作るカルピスよりもかなり薄いので若干不満がある。
カルピスソーダも美味いが、あれは別の飲み物だ。
やはりカルピスは自分で濃さを加減できるのがいい。
原液を薄めて作るカルピスは、濃さを一様にするために撹拌させる必要がある。
また、氷が溶けてくると上のほうが薄くなってきてしまう。
そこで昔はどの家庭にも、プラスチック製のマドラーのようなものがあった。
うちにはたしか、先が小さいスプーン状になっているもの、先に玉状のものがついているもの、先に2枚の円形の板が十字に組み合わさったものが付いているものがあった。
プラスチック製だから、多少乱暴にかき混ぜてもコップに傷が付かない。
あの手のものは今でも手に入るのだろうか。
あれば是非手に入れたい。
ところで、妻が買ってきたカルピスは紙パックだった。
贈答品用のもの以外はすべて紙パックになってしまったようだ。
贈答品用のものも、昔のような紙に包まれていたものとはずいぶん違うように見える。
昔の瓶のものの容量は633mlだったようだから、今の500mlの紙パックよりは多少多い。
しかし、容量の差や、僕が相対的に大きくなったのを考慮しても、紙パックは瓶に比べてずいぶんコンパクトになってしまったように感じられる。
それはそのままカルピスの存在感の低下を表しているようにも思えてしまう。
最近では多種多様な飲料が発売され、自動販売機やコンビニで手軽に買えるようになり、いちいち自分で希釈しなければならないカルピスは、昔ほどは売れなくなってしまったようだ。
物議を醸した黒人マークもなくなり、瓶は紙パックに変わった。
僕も暑いときにはまずビールというようなオジサンになってしまった。
しかし、久しぶりに飲んだカルピスは、夏休みのある日の午後、炎天下で遊んだ後に扇風機で身体にまとわりつく熱気を吹き飛ばしながら飲んだあのときと同じに、甘酸っぱくてとてもおいしかった。
寿司
日曜の夕食は大体僕が作ることになっているのだが、風邪のせいでまだだるいのであまり作る気になれない。
とはいえ、今日も仕事の妻に作ってもらうのも悪いし、本人もあまり乗り気ではなさそうだ。
そこで、久しぶりに寿司の出前を取ることにした。
高級な店のものではなく、さらにその店でも安いセットだったが、そこらのスーパーのパック寿司などとは比べ物にならない。
子供の頃、うちでもたまに寿司の出前を取っていた。
たいていは日曜日だったように思う。
日曜の夕食といえば、夏はそうめん、冬は鍋物が多かったような気がする。
やはり母親も日曜は楽をしたかったのだろうか。
寿司を取るのは夏が多かったような気がする。
うちではいつもは7時過ぎに夕食をとっていたが、日曜だけは早かった。
サザエさんをやっている時間、つまり、6時半から7時にかけてもう食べ始めていたと思う。
夏の頃ではまだ夕方といった感じだ。
うちでは食事の時間にテレビは禁止、などということはなかったので、僕はマジンガーZ、父親はもう一台のテレビでナイターなどを見ながら食事をしていた。
別にそれで会話がなくなるといったこともなかったように思う。
店に行くことはあまりなかった。
行っても注文するのはにぎりの並とか上とかで、カウンターでひとつずつ注文するような食べ方をしたことはなかった。
うちは特に貧乏というわけでもなかったと思うが、まあ堅実だったのだろう。
小さい頃は、僕は魚の寿司、つまりにぎりやちらしはとってもらえず、のりたま専門であった。
のりたまとは、かんぴょう巻と玉子焼きのみのセットである。
当時はそれほど不満もなかった。
とにかくお腹がいっぱいになればよかったのかもしれない。
父はにぎり専門、母はにぎりや鉄火巻きやちらしなど、いろいろと頼んでいた。
そして僕の好物のものをいくつか分けてもらっていた。
特に海老を欲しがった。
今でも海老は大の好物だ。
海老がなくてシャコが入っていることもあったが、それでもよかった。
わさびだけは取ってもらっていた。
母親は少食だったので、残すこともしばしばあった。
それは腹が減っている僕にすべて…とはもちろんいかなかった。
冷蔵庫で保存していたので翌日はカチカチになってしまう。
小さい頃は電子レンジもなかったから、蒸し器で蒸して食べていた。
しゃりは温かくなり、海苔はしんなりとし、マグロなどは当然火が通って白っぽくなったりしてしまうのだが、それはそれでなかなか旨かったのを覚えている。
ところで、僕が子供の頃の寿司は、今のものよりしゃりに酢が効いていたような気がする。
ねたの味を生かすためにバランスを考えているのだと思うが、僕には今の寿司はちょっともの足りない。
小学校中ごろからだったと思うが、普通のものを注文してもよいということになった。
いつもちらしを頼んでいた。
にぎりよりもご飯が多そうな気がしたからである。
当時はとにかくいつも腹が減っていた。
今思うと、にぎりはしゃりが圧縮されているので、ちらしと比べて量が少ないわけではないように思う。
今はにぎりしか食べない。
一人暮らしをはじめてから、しばらくは寿司はあまり食べなかった。
外食すること自体あまりなかったし、スーパーのパック寿司を買うくらいなら刺身とご飯でいいと思っていた。
友人と回転寿司に行くことがあったくらいだ。
しかし、ふと目に付いた近所のちよだ鮨で買ったにぎりがなかなか旨かったので、それからはしばしば買うようになった。
今では、スーパーやデパ地下のパック寿司が中心だ。
相変わらず店で注文して食べるといったことはないが、これは成功して引退してからのお楽しみとしたい。
今日は久しぶりの出前だったが、これもなかなかいいもんだ。
とはいえ、今日も仕事の妻に作ってもらうのも悪いし、本人もあまり乗り気ではなさそうだ。
そこで、久しぶりに寿司の出前を取ることにした。
高級な店のものではなく、さらにその店でも安いセットだったが、そこらのスーパーのパック寿司などとは比べ物にならない。
子供の頃、うちでもたまに寿司の出前を取っていた。
たいていは日曜日だったように思う。
日曜の夕食といえば、夏はそうめん、冬は鍋物が多かったような気がする。
やはり母親も日曜は楽をしたかったのだろうか。
寿司を取るのは夏が多かったような気がする。
うちではいつもは7時過ぎに夕食をとっていたが、日曜だけは早かった。
サザエさんをやっている時間、つまり、6時半から7時にかけてもう食べ始めていたと思う。
夏の頃ではまだ夕方といった感じだ。
うちでは食事の時間にテレビは禁止、などということはなかったので、僕はマジンガーZ、父親はもう一台のテレビでナイターなどを見ながら食事をしていた。
別にそれで会話がなくなるといったこともなかったように思う。
店に行くことはあまりなかった。
行っても注文するのはにぎりの並とか上とかで、カウンターでひとつずつ注文するような食べ方をしたことはなかった。
うちは特に貧乏というわけでもなかったと思うが、まあ堅実だったのだろう。
小さい頃は、僕は魚の寿司、つまりにぎりやちらしはとってもらえず、のりたま専門であった。
のりたまとは、かんぴょう巻と玉子焼きのみのセットである。
当時はそれほど不満もなかった。
とにかくお腹がいっぱいになればよかったのかもしれない。
父はにぎり専門、母はにぎりや鉄火巻きやちらしなど、いろいろと頼んでいた。
そして僕の好物のものをいくつか分けてもらっていた。
特に海老を欲しがった。
今でも海老は大の好物だ。
海老がなくてシャコが入っていることもあったが、それでもよかった。
わさびだけは取ってもらっていた。
母親は少食だったので、残すこともしばしばあった。
それは腹が減っている僕にすべて…とはもちろんいかなかった。
冷蔵庫で保存していたので翌日はカチカチになってしまう。
小さい頃は電子レンジもなかったから、蒸し器で蒸して食べていた。
しゃりは温かくなり、海苔はしんなりとし、マグロなどは当然火が通って白っぽくなったりしてしまうのだが、それはそれでなかなか旨かったのを覚えている。
ところで、僕が子供の頃の寿司は、今のものよりしゃりに酢が効いていたような気がする。
ねたの味を生かすためにバランスを考えているのだと思うが、僕には今の寿司はちょっともの足りない。
小学校中ごろからだったと思うが、普通のものを注文してもよいということになった。
いつもちらしを頼んでいた。
にぎりよりもご飯が多そうな気がしたからである。
当時はとにかくいつも腹が減っていた。
今思うと、にぎりはしゃりが圧縮されているので、ちらしと比べて量が少ないわけではないように思う。
今はにぎりしか食べない。
一人暮らしをはじめてから、しばらくは寿司はあまり食べなかった。
外食すること自体あまりなかったし、スーパーのパック寿司を買うくらいなら刺身とご飯でいいと思っていた。
友人と回転寿司に行くことがあったくらいだ。
しかし、ふと目に付いた近所のちよだ鮨で買ったにぎりがなかなか旨かったので、それからはしばしば買うようになった。
今では、スーパーやデパ地下のパック寿司が中心だ。
相変わらず店で注文して食べるといったことはないが、これは成功して引退してからのお楽しみとしたい。
今日は久しぶりの出前だったが、これもなかなかいいもんだ。
2009年4月25日土曜日
レコードプレーヤーとカセットデッキゲット
魔が差してというか、
ついうっかりというか、
調子に乗ってというか、
実は当然故意犯的に、レコードプレーヤーとカセットデッキをヤフオクで落札してしまった。
まあ、4月12日の投稿を読んでた皆さんはどうせやると思ってたでしょ?
レコードプレーヤーやカセットデッキは、自作するのは現実的にはまず不可能なので、製品になったものを買うしかない。
レコードプレーヤーは、フォノモーターとトーンアームを買ってキャビネットは自作という手もあるのだが、とりあえずということで完成品を買ってしまった。
フォノモータとトーンアームは単体でも売られていたものなので、あとでキャビネットを自作するということも考えられる。
手に入れたレコードプレーヤーはLo-dのHT-840で、カセットデッキはビクターのTD-V731である。
個々の詳細については後日レポートしたい。
双方とも年代物だが、動作に問題はないようだ。
もううきうきわくわくで、所有のレコードやカセットをとっかえひっかえ聴きまくり!
…といきたいところなのだが、置き場所に困っている。
AV機器はテレビ台に使っているエレクタにぶち込んでいるのだが、特にレコードプレーヤーは使いづらくてしょうがない。
そこで、工作意欲が湧いてきたと常々言っていたが、まずはオーディオラックを作ることにした。
作りやすさ、運びやすさを考えると、長岡鉄男式のロの字型の合板の箱を重ねるタイプのものがよさそうだ。
入れるものは、レコードプレーヤー、カセットデッキ、アンプ。
AVのAの範疇に入るものだ。
Vも入れてしまうと大型になり過ぎると思う。
21mm厚のシナ合板を2枚重ねで使って、横600mm×奥行き450mmの箱を三段重ね。
個々の箱の高さは、これから個々の機器の高さを考慮して決めていきたい。
これで腕慣らしをして、木工するものはこのあと、リビングのスピーカー、寝室のスピーカー、レッスン室のスピーカー、レッスン室のラックと、続々控えている。
リビングのスピーカーは、どうせ作るならということで、やはりスーパースワンに挑戦しようと思う。
寝室のスピーカーは、ベッドに寝転びながら聴くためのもので、壁掛けのものを。
レッスン室のスピーカーは、ヴァイオリンの音色が美しいもので、できるだけ場所をとらないものにしたい。
レッスン室のラックは、ノートパソコンと、将来導入予定のブラザーのA3複合機を上面に置いて、下には楽譜を収納するためのものだ。
レッスン室のスピーカーとラックはサイズ等合わせて考えたい。
現在は、アンプはラステームのRSDA302Uを使い、テクニクスのSUV-500をフォノイコライザ兼セレクタとして使っている。
もちろんこれは暫定的なものであって、もっとマシな構成にしたい。
プリアンプを買うことも考えられるが、もったいないので作ることにしたい。
アンプは当分現状のRSDA302Uでいくとして、フォノイコライザとセレクタを作らなければならない。
アナログ音源をPCに取り込むためにオーディオインターフェースが必要なのだが、これは買ったほうがいいかな。
寝室用とリビング用にアンプも必要だ。
これは簡単にD級アンプのものを作るか。
ゆくゆくは真空管アンプにも挑戦してみたいが、当分先の話になりそうだ。
リビングのオーディオは、そのうちスピーカーマトリックスにも挑戦したい。
また、ベリンガーの安いイコライザなんかでも遊んでみたいが、とりあえず、スピーカー特性を測定するためのマイクなんかを買おうかな。
やることがたくさんあって楽しい限り。
もちろん引退に向けての副業とかを忘れたわけではないが、楽しいこともしなくちゃね。
ついうっかりというか、
調子に乗ってというか、
実は当然故意犯的に、レコードプレーヤーとカセットデッキをヤフオクで落札してしまった。
まあ、4月12日の投稿を読んでた皆さんはどうせやると思ってたでしょ?
レコードプレーヤーやカセットデッキは、自作するのは現実的にはまず不可能なので、製品になったものを買うしかない。
レコードプレーヤーは、フォノモーターとトーンアームを買ってキャビネットは自作という手もあるのだが、とりあえずということで完成品を買ってしまった。
フォノモータとトーンアームは単体でも売られていたものなので、あとでキャビネットを自作するということも考えられる。
手に入れたレコードプレーヤーはLo-dのHT-840で、カセットデッキはビクターのTD-V731である。
個々の詳細については後日レポートしたい。
双方とも年代物だが、動作に問題はないようだ。
もううきうきわくわくで、所有のレコードやカセットをとっかえひっかえ聴きまくり!
…といきたいところなのだが、置き場所に困っている。
AV機器はテレビ台に使っているエレクタにぶち込んでいるのだが、特にレコードプレーヤーは使いづらくてしょうがない。
そこで、工作意欲が湧いてきたと常々言っていたが、まずはオーディオラックを作ることにした。
作りやすさ、運びやすさを考えると、長岡鉄男式のロの字型の合板の箱を重ねるタイプのものがよさそうだ。
入れるものは、レコードプレーヤー、カセットデッキ、アンプ。
AVのAの範疇に入るものだ。
Vも入れてしまうと大型になり過ぎると思う。
21mm厚のシナ合板を2枚重ねで使って、横600mm×奥行き450mmの箱を三段重ね。
個々の箱の高さは、これから個々の機器の高さを考慮して決めていきたい。
これで腕慣らしをして、木工するものはこのあと、リビングのスピーカー、寝室のスピーカー、レッスン室のスピーカー、レッスン室のラックと、続々控えている。
リビングのスピーカーは、どうせ作るならということで、やはりスーパースワンに挑戦しようと思う。
寝室のスピーカーは、ベッドに寝転びながら聴くためのもので、壁掛けのものを。
レッスン室のスピーカーは、ヴァイオリンの音色が美しいもので、できるだけ場所をとらないものにしたい。
レッスン室のラックは、ノートパソコンと、将来導入予定のブラザーのA3複合機を上面に置いて、下には楽譜を収納するためのものだ。
レッスン室のスピーカーとラックはサイズ等合わせて考えたい。
現在は、アンプはラステームのRSDA302Uを使い、テクニクスのSUV-500をフォノイコライザ兼セレクタとして使っている。
もちろんこれは暫定的なものであって、もっとマシな構成にしたい。
プリアンプを買うことも考えられるが、もったいないので作ることにしたい。
アンプは当分現状のRSDA302Uでいくとして、フォノイコライザとセレクタを作らなければならない。
アナログ音源をPCに取り込むためにオーディオインターフェースが必要なのだが、これは買ったほうがいいかな。
寝室用とリビング用にアンプも必要だ。
これは簡単にD級アンプのものを作るか。
ゆくゆくは真空管アンプにも挑戦してみたいが、当分先の話になりそうだ。
リビングのオーディオは、そのうちスピーカーマトリックスにも挑戦したい。
また、ベリンガーの安いイコライザなんかでも遊んでみたいが、とりあえず、スピーカー特性を測定するためのマイクなんかを買おうかな。
やることがたくさんあって楽しい限り。
もちろん引退に向けての副業とかを忘れたわけではないが、楽しいこともしなくちゃね。
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